城喰 シロクロ

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勝てる――。軍師であるこの男は、そう確信した。


暁の光に浮かぶ沢州の領主・二十七代正成紫鬼【まさしげむらさき】の軍勢は一万余り。

それが一斉に開かれた門へと向けて殺到しようとしていた。

一方、こちらの山城に篭る自軍の兵――、三代尊氏白薙【たかうじしらなぎ】の兵は千にも満たない。

劣勢である。

けれど押し寄せる敵勢を前に男の軍師としての気持ちは露ほどにも揺るがない。

それどころか、この男はここが戦場(いくさば)にあるにも拘わらず鎧兜の類を身につけることなく、筒袖の小袖に裁付袴(たっつけばかま)といった無防備な姿で敵の軍勢に相対し不敵な笑みを浮かべている。

「蜜に群がる蟻だな」

そう言って男が右手を懐に入れた。

その手には、小さな楔が握られていた。

男が自陣を振り返る。

頑丈な櫓(やぐら)の上には、白い着物を身につけた小さな娘がいた。

雪のように白い着物を身に纏い、腰の中ほどまである長く真っ直ぐな黒髪を垂らした美しい娘だ。

白い肌に浮かぶのは朱い瞳と唇の色彩だけだった。

男が楔(くさび)を掲げてその娘に言った。

「天手(てんしゅ)よ、御身の力、この代手(だいしゅ)に分けてくれよ」

不意に男の手が熱を帯びる。

代手と呼ばれた楔が熱を発していた。

この熱は天手の熱でもある。

代手を通じて、天手の力が流れ込んでいるのだ。

その力に応じて、代手の表面に刻まれた印が妖しげな光を放ち始める。

天手はこれを〔煌気(きらめき)〕と呼んでいた。

不意に風を切る音が男の耳へと飛び込む。

男を狙って射掛けられた矢が、そのはるか手前で山道に突き刺さる。

「そのような矢でやられるかよ」

男が手の中の代手を敵に向かって放り投げる。

それは敵の手前に落ち、地面に突き立った。

敵も「なにごとか」とそれを警戒するが、人の指ほどの大きさの小さな楔であることがわかると再び門に押し寄せようと前進し始める。

そのとき男の声が上がった。

「解手(かいしゅ)!」

その声と同時に男は頭の中に絵を描く。

それはこの戦に臨む前に何度も思い描き、準備されてきたものだった。

頭の中に真っ白な紙を置く。

思ったものの形、色、大きさ、そして硬さや手触りといったものを再び、その白い紙へと描いていくのだ。

そのまま描けば、そのままに。

誇張すれば誇張したなりの絵となって現れる。

そして仕上げには、その絵に現実性をもたせるために、仕組みや動き、効果などの考えを反映させて精度をあげて整えられる。

それは、己の感性で色付けし、己の理性で絵を整えていく。

そうした絵を、頭の中で瞬時に描いていく。

その絵が目の前にある実景の上に重ねられ、上書きされていった。

そしてそれはひとつの絵となり「解手」の声とともに目の前で現実となる。

地面に投げられた代手が光に包まれ爆ぜた。

敵は目を疑ったはずだ。

これまでなにもなかったところに、人の背丈よりも高い土の壁が現れたのだ。

突然現れた土壁に敵兵たちの足が止まった。だが後ろから殺到していた敵兵たちの足は止まらず、高く盛られた土の上に作られた一本道の上で、先頭の敵兵たちは土壁と人の波との間で圧し潰される形となった。そしてそこから逃れよ
うとするものは、容赦なく一本道の上から下へと転げ落ちていく。

土壁の向こうで敵の怒声と悲鳴が上がるのを聞いて男が言った。

「仕上げにかかるか」

男の手から、また別の代手が土壁の向こうに放り投げられる。

今度は刻印のない代手だった。

それが地面に落ちる頃合いを見計らって、男が声を上げる。

「封手(ふうしゅ)」

それを受けて代手の周りが不意に暗くなる。

代手の周りの光がその中に取り込まれているのだ。

そしてその暗がりが一際濃くなった瞬間、混乱する敵のいた山道が消えていた。

手のひらほどの代手の中に大量の土が封じ込められたのである。

足場を失った敵兵たちは、その抉られた穴へと次々と転げ落ちていった。

男が別の代手を地面に突き刺し声を上げた。

「解手!」

その代手から現れたのは、木製の櫓だった。

代手から現れた木々が自ずと櫓の形へと組み上がっていく。

その不思議な光景を敵兵は白昼夢のように感じていたことだろう。

ほんの十秒ほどであろうか。

櫓はそんな僅かな時間に組み上がってしまったのだ。

その櫓の上に男が、また違う形の代手を取り出し投げ込んだ。

「天手よ、歌え! 骸兵(むくろへい)を出す」

男が櫓の上の天手に向かって声を上げた。

すると鈴の転がるような娘の歌声が戦場の空に響き渡る。

その歌声が高まったところで男が言った。

「一斉解手!」

解手された櫓の上に放り込まれた代手を覆うように、木で作られた手足や体が生えてきて骸骨に似た兵士となっていく。その左手は弓そのものになっていた。そして空いた右手でその弓に矢をつがえていく。

「骸兵よ、矢を射掛けよ!」

男の号令で、櫓の上に現れた骸兵が敵兵たちに向かって、矢を射掛けていく。

穴底は地獄と化した。

敵は完全に混乱し、山道を転げるように逃げていった。

その兵士たちを追うように山道の両脇から「解手」の声が上がる。

伏兵だった。

すると巨大な櫓が組み上がり、その櫓の上に白い髭を生やした老人が姿を見せる。

青い色の鎧兜を身につけた勇ましい姿は老いを感じさせない力強さがあった。

その老人が言った。

「十一代家康青海【いえやすせいかい】が青州軍の弓霰(ゆみあられ)を受けてみよ!」

老人が左手に握った代手を解手するとそこから身の丈の倍程もある巨大な弓が現れた。その巨大な弓に別の代手から解手された青い矢を束ねて番えると一斉に空へと向かってそれを射ち上げる。

天空高く舞った矢はそこから無数の細矢にわかれ、敵兵の頭の上に、青い雨となって一斉に降り注ぎ、敵兵の血で大地を赤く染めていく。

「青海殿に続け!」

それに続くように、家康青海の傍で兵を率いた雨竜直輔【うりゅうなおすけ】も矢を射掛けた。

敵兵は完全に混乱していた。

その混乱は山道に取り付こうとしていた山裾の敵陣にも伝播していった。

完全に浮き足立った敵は逃げようと一斉に山から下りようと背を向ける。

山城から逃れようと平原に向かって敵兵が散り始めた。

そのとき「解手!」と応える声が平原と山の際辺りから聞こえ土煙が上がる。

地面に埋め込まれた代手から一斉に現れたのは騎兵だった。

ただの騎兵ではない。

千以上の木でできた馬と一体化した骸兵たちだった。馬の頭の部分に人の上半身が乗せられた奇妙な形をしたものだ。

更に山の脇から本物の騎馬を操る武将がふたり現れ、骸兵たちの先頭に立った。

「尊氏白薙が配下、七代信長玄上【のぶながげんじょう】、参る! 騎馬隊、続け!」

「二十三代秀吉朱羅【ひでよししゅら】。この名を恐怖とともに刻むがいい」

ふたつの騎馬隊が逃げる敵を迎えるように一気に襲いかかった。

信長玄上は全身を艶のない黒漆を塗りこんだ鉄の鎧を身に着け大きな剛槍を手にしていた。騎馬も同じように黒い鉄の覆いをつけてはいたが、それをものともせずに突き進む姿は、巨大な槍そのものであり、大きな楔となって敵を分断
していった。

一方の秀吉朱羅は、艶のある赤い革でできた鎧を身につけ、軽やかな風となって敵陣を通り抜けていく。だがその軽やかな印象とは異なり、赤い風は通り過ぎると同時に、その細身の剣で敵の喉を切り裂き、空気を赤く染めていった。

山の上と背後から迫る逃れようのない恐怖は絶望の風となって敵を包み、もはや数で勝てる戦ではないことを悟らせるのに十分だった。

混乱した敵陣に楔のように食い込み、敵の総大将・二十七代正成紫鬼の首を、信長玄上が討ち取る様を男は門の前から見下ろしていた。

「俺たちの勝ちだ」

男は山城を振り返る。

曲輪(くるわ)の中の櫓にいる天手は変わらぬ姿でそこにいた。

これが全ての始まりだ。

男はそう思った。

代手と天手。

このふたつがあれば主君・三代尊氏白薙の八羽徒八州(やわとはっしゅう)統一は成るであろう。

「混乱の時代がこれで終わる。そうすれば、俺は――」

不意に上がった勝鬨がその言葉をかき消した。

戦場から流れてくる焼けた風が男の背中でひとつに束ねられた長い黒髪を揺らした。

男――、軍師・金斬【かねきり】は勝鬨を上げる城の兵たちを見ながら、その思いを呑みこむしかなかった。


凰歴(おうれき)五八二年。

後に白帝(はくてい)と称される三代尊氏白薙による、

八羽徒八州の統一はここに始まったのである。

  序 章 ――終――

 
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