城喰 シロクロ

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第1章 黒き焔(1/9)

凰歴六〇二年・初夏。

そのふたりは出会った。


「銀【しろがね】は、この郷
で〔土見師(つちみし)〕になるの?」

顔を上げた輝月銀【きづきしろがね】の淡い栗色をした長い前髪がはらりと揺れた。

銀の目の前にヌイの黒い瞳があった。

それは学問所の同級生であり、幼なじみの見慣れた顔だった。

ほどよく日焼けした健康的な肌が淡い色の草木染めの小袖から覗いていた。

黒く艶のある髪の毛は郷の他の娘と同じように首の後ろあたりで束ねて丸められ、着物と同じ柄の布に包み込まれている。

学問所の裏の木陰が、久しぶりに降り注ぐ初夏の日差しを和らげる中、銀は樹の幹に寄りかかるように腰を下ろし、学問所の書物を読んでいる最中だった。

そこにヌイが銀の顔を上から覗きこむ恰好で話しかけたのだ。

銀はヌイとは対照的に、濃紺の小袖に軽衫袴(かるさんばかま)という姿から覗く肌は白かった。

前髪は無造作に分けられ、後ろ髪は背中の真ん中あたりで組紐を使ってひとつに束ねられていた。

銀はヌイの問いかけに、やや青みがかった瞳を遠くの景色にそらして言った。

「僕は土見師の息子ですし、この郷の外を知りませんから」

遠くに見えたのは郷を取り囲む頑丈な木柵だった。

「私も同じだね。じゃあずっとこの郷にいるんだよね」

「そうだと思います。土見師として大人になるんでしょうね」

「よかった」

ヌイがほっとしたように、膨らみかけた自らの胸を手でおさえていた。

なにがよかったのだろう――。

銀にはそれがわからなかった。

この黄州那賀郷(こうしゅうなかさと)は、八羽徒八州の中央、天を衝くような王山(おうざん)の裾野にある樹海を切り拓いて作られた郷だった。

往来の多い街道からも離れており、旅人などが来るようなこともない。

郷人は少し掘れば溶岩が顔をだすような痩せた土地を拓いて棚田を作り、そこで穫れる作物を頼みに暮らしている。

そんな土地に生きる郷人たちにとって、家の仕事は子供の頃から手伝いをさせられ、大人になった暁には親からその仕事を引き継ぐのは、当然のことでもあった。

この郷の土見師になるのは、土見師の息子としてこの小さな世界で生きていく以上、決められているようなものだった。

農民の子は農民に、土見師の子は土見師になるのが当然のことなのだ。

土見師として生きること。

それは――。

土を盛り、土を掘る。

そのふたつを生業として生きていくことなのだ。

それが土見師である父から聞かされた教えだった。

そして銀もそれを頭の中ではわかってはいた。

けれど……。

銀にもやりたいことはあった――。

その胸の内を見透かされたのか、ヌイが言った。

「銀は、本当は絵描きになりたかったんじゃないのかな」

「それはもう諦めています」

「でも銀の絵、上手だよ。前だって白帝の戦絵巻を上手に写してたじゃない」

「いくら絵がうまくたって、この郷ではなんの役にも立ちませんし」

銀の表情がわずかに曇った。

絵描きになりたいという気持ちはある。

そうなるにはこの郷を離れて城下などの絵師に弟子入りするしかない。

けれど、自分の手を見れば、幼い頃から土見師の仕事に馴染んだ手があった。

手のひらも指先も硬くなっている。

絵筆を握って艶やかな絵を描くような繊細な指先ではなかった。

そして、この手からは土の匂いがした。

「この手に絵筆は似合いませんよ。本を読んで勉強して、父さんのような土見師になるのが、僕の進むべき道です」

これは銀の本心だった。

やりたいこととできること。

その差がわかるくらいの分別はつく年頃である。

自分の手をじっと見つめる銀の横顔にヌイが言った。

「でもわたし、その手も好きだよ」

――え?

銀がヌイを見た。

ヌイの頬がいくぶんか赤くなっていた。

「顔が赤いですよ。熱でもあるんですか」

「知らない!」

そう言って着物の袖で顔を隠しながらヌイは小走りに去っていってしまった。

そして木陰の中には銀ひとりが残された。

銀は長い前髪をかきあげ、ヌイの去っていったほうを見つめる。

「なにか変なこと言ってしまったのでしょうか?」

「君まだまだ子供ですね」

突然、銀の背後から声がした。

見ると、銀よりも背の高いほっそりとした男が優しげな笑みを浮かべて立っていた。

輝月鏨【きづきたがね】。銀の父親だった。

「父さん。僕はもう十四歳です。子供じゃありません」

「大人なら自分のことを大人だとは主張したりしませんよ。我が〔輝月塾〕の筆頭学士であるにも拘わらず、それを活かす経験が足りてませんね」

鏨は目を細めて言った。

那賀郷の学問所の教師であり、土見師である。

どこかのんびりしたような、背だけがひょろりと高く、誰がどう見ても学者とわかるような男だった。

この郷の誰もが「先生、先生」と声をかけてくるような優しげな人柄をしていた。

けれど細身でありながら、洗いざらしの麻の小袖から覗く日焼けした肌がどこかこの男の逞しさのようなものを匂わせてもいる。

そこだけが銀と異なる部分でもあった。

銀の家はこの学問所を兼ねており、十四歳になる今までここで育った。

それは樹海を切り拓かれて作られた那賀郷の中でも、もっとも未開の樹海の際に建てられている。

家自体それほど大きなものではない。

居間と寝所を兼ねた部屋がひとつと、奥に物置を兼ねた小部屋があるだけだ。

だが家具などが少ないために子供十人が入っても、読み書きを教えることぐらいはできた。銀たちの年になれば、読み書きなどよりも外に出て、野良仕事や作付などの実践が多くなるのだ。

だが銀にあるのはこの学問所だけだった。
そのためひとりになると銀は学問所の書物を読みあさっていた。わからないところはあとから鏨に聞いて理解に努めた。
そうしていくうちに書物に書かれていた知識、すべてを頭に入れたのである。
その結果、十五名いる年長組の中から師範代である筆頭学士に任命されたのだった。
鏨から教わることはもうない――、そう銀は思っていた。
けれども当の鏨は――、
「ここから先は知恵を頭にどれだけ入れられるかではなく経験することが大事なんです」
――と銀を諭し、銀の能力をなかなか認めようとはしなかった。
そのためか鏨からはまだまだ子供扱いされている銀であった。

鏨が銀の淡い栗色の髪を見て言った。

「色が落ちてしまってますね。今夜、また染め直しましょう」

銀の髪の本当の色は栗色ではなかった。元々、月の光のような白銀色だったのを、木の実を潰した汁で染めていた。完全に染まり切らないために淡い栗色で落ち着くのだ。

他の郷の人間たちはほぼ黒い髪の毛の色をしていた。

郷の子供たちの中にあってひとりこれは目立つということを心配した鏨が染めていたのだ。ただ郷の誰もが銀の髪のことを知っており、もう気にしてはいないのだが、鏨がこの髪染めを嬉しそうに行うのだ。

「もうひとりでできます」

これまでも何度かそんなことを言おうとした銀だったが、たったふたりの家族、家の中でともに暮らす鏨の悲しそうな顔を見るのも辛かった。

「そういえば私宛ての書状は届いてはいませんか」

「書状?」

「ええ。青州青山(せいしゅうあおやま)城下にいる旧友の返事がそろそろ来るはずなのです」

「ここにですか? でも、城下や街道沿いと違って、那賀郷には旅人だってめったに来ませんし、きっともっと先だと思いますよ」

「そうですね。そうかもしれませんね」

ふたりの暮らす黄州那賀郷ははっきりいって僻地にあると言ってもよい。

街道からも外れており、それ故に定期的にやってくる行商人ですら稀であった。

城下と城下との間を走る駅馬は、街道から遠く離れた那賀郷まではやってこない。

個人宛ての書状などは旅人についでに頼むことも多く、旅人が滅多に訪れない那賀郷に届く書状などないに等しい。

書状を出すにしても、ここから外へと用事で出かける郷人を探してまとめて渡すしかなかった。

そのような状況なのだから、返事を期待するだけ無駄なのだ。

「そんなに大切な書状なんですか」

「大切といえば大切ですが、急がないといえば急がないというか、銀にも関係あるといえばあるというか」

「僕にですか?」

「まあ、別に急ぐものでもないですし、それはそれでいいでしょう。それよりも新しい役場を建てる土地のことなんですが」

「郷の入口近くの古い棚田ですよね。水抜きして乾いたのを確かめてから、きれいに地ならしをしておきましたけど。いつでも柱を建てられますよ」

「今、そこで子供たちを遊ばせています」

「え?」

鏨の言葉に、銀は思わず絶句した。

「子供たちって、幼少の部の、あの元気がすぎる子供たちですか?」

「私が読み書きを教えている子供たちです」

「学問所の壁に落書きをしたり、せっかく植えた花の種をぜんぶ掘り起こしたりするあの子供たちですよね……」

銀の脳裏に、自分よりも五つほど歳の離れたいたずら盛りの子供たちの得意げな顔が思い浮かんだ。

「その子供たちに平らな所で遊んでもらっています」

「遊んで……」

銀は思わず絶句する。

そしてその脳裏に子供たちの遊ぶ姿が浮かび、自分の仕事の成果が今どうなっているのかが容易に想像できた。

銀は肩を落とすしかない。

「おや、銀くん。そこまで落ち込みますか」

「……誰だって落ち込みますよ。だって僕が三日かけて綺麗に地ならししたばかりなのに」

「でもあのままでは役場は建てられませんでしたよ」

「え、どうして……」

戸惑う銀に鏨がぴしゃりと言った。

「自分の目で見てみなさい。そうすればわかります。私は郷ノ長(さとのおさ)から頼まれた仕事ができましたので、代わりに子供たちの面倒をみてやってください」

「これも経験、ですか」

「まずは見よ。そして考え、手を汚せ。それが私の教育方針ですから。経験して、しっかり勉強しなさい」

鏨はそれだけを告げて家の裏手にある王山の樹海の方へと行ってしまった。

うまく言いくるめられているような気もしないではない。

それもいつものことだった。

銀はその背中を見てここまで育ってきたのだ。

一見風が吹けば揺れそうなほどに頼りなげだが、しっかりと大地に根を下ろしまっすぐに伸びた背中こそが、銀の目標だった。

「まずは見よ、か。それじゃ今、僕が見なくちゃいけない現実を見に行くとしますか」

銀は長い前髪をかきあげると、学問所の木陰から降り注ぐ初夏の日差しの表へと出て行った。

 
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