城喰 シロクロ

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第1章 黒き焔(2/9)

「どこまで行くのじゃ。妾(わらわ)
はもう歩きとうない」

市女笠(いちめがさ)を被った
旅装束の娘が街道の真ん中で
座りこんだ。

旅装束にしては、すべてが
絹でできており、雅な雰囲気があった。
それが汚れるのも
構わずに座りこんでいるのだ。

鈴のような声の印象から年の頃、十歳ほどの小さな娘のように思える。

長旅で疲れたのかもしれない。

「九狼【くろう】、聞いておるのか?」

その前を歩いていた九狼と呼ばれた男が足を止めて振り返った。

立ちはだかるもの全てを踏み潰す——、そんな鋭く力強い印象の男だった。

癖のある髪を頭の後ろで無造作に紙縒り(こより)を使って束ね、浅黒く張りのある肌に、無駄を削ぎ落したような頬と、赤みを帯びた瞳が輝いていた。

更にその上にきりりと引かれた真っ直ぐな眉と、やや太い鼻柱、そして硬く結ばれた唇がこの男の性格を表しているかのようであった。

大人の顔立ちではない。

まだ二十歳に届いたかどうかといった年頃独特の若さのようなものが滲み出ていた。

背は高く六尺をゆうに超えている。

外套に覆われていたものの、それがわかるほどに肩幅も広く、胸板も厚い。

そして手足も長かった。

その鍛えられた右手には長さ八尺、太さ三寸はありそうな剛槍が握られていた。

更に外套の中には黒いなめし革を使った軽い胸当てや手甲といったものが覗く。

今は戦時ではない。なのにこの男は戦時のような恰好をしていた。

その九狼が娘に言った。

「朱鷺【とき】、お主が貴重な天手(てんしゅ)であろうと俺は置いていく。築城士(ちくじょうし)探索は七代信長玄上様よりの君命。これを叶えるは俺の務め。生きる証だ」

朱鷺と呼ばれた娘が不満そうに立ち上がる。

「九狼のバカ!」

この男、焔九狼【ほむらくろう】は置いていくと言ったら、絶対に自分のことを置いていくだろう。そんな性格の武人である。それが朱鷺にはわかっていた。

「本当に一里先の郷に築城士などおるのか。わざわざ黄州まで来たというのに妾はなにも感じぬぞ」

「天手が煌気(きらめき)を捉えられぬとはな。お主が天手として力不足なのか、探し求める築城士が我らの求める力を持っておらぬかのどちらかであろう」

それを聞いた朱鷺が思わず不満を表に出す。だが九狼はそれに取り合うつもりはなかった。

朱鷺が面白くなさそうに九狼に尋ねる。

「その築城士の噂は誰から聞いたのじゃ」

「嬉楽照胤【きらしょういん】」

「あのニヤケた武将か。妾は好かぬ」

「だが照胤は玄州一の早耳の持ち主。お陰で不穏な輩を潰すことができたのも二度三度ではない」

「あやつが自らそれを仕掛けているとの噂も聞いておるぞ」

だが九狼は朱鷺の返事に答えず、前を向いて口を閉じたままだった。

朱鷺はそこに不穏な空気を感じ取った。

「なんじゃ」

「賊だ」

九狼の視線の先を追うと、街道沿いの木々の間から人影が見えた。

数にして五人、いや七人ほどか。

その手には槍や刀など、物騒な得物(えもの)を持っているようだった。

「王山そびえる黄州は白帝の公領(こうりょう)。今は青州の管轄だったと聞いていたが、野武士が白昼堂々、旅人を待ちぶせか。家康青海の死後、青州の威光も弱まっているようだな」

九狼が朱鷺を見た。

「お前はどうする」

「妾はなにもしとうないぞ」

そう言って座り込んだままの朱鷺は堂々と見物を決め込んだようだ。

「わかった。片付けてくる」

九狼はひとり、槍を持ち直し、前へと出る。

その背中が初夏の日差しに白く照らされた道の上で、陽炎のようにゆらりと揺れ、そして消えてしまった。

「消えたぞ」「逃げたのか」

遠くで野武士たちの声が上がった。信じられないものを見て、思わず声が上がってしまったのだろう。思わず物陰から姿を現し、消えた九狼の姿を探している。

その野武士たちを見て、朱鷺は鈴のような声で笑った。

「まことおかしいのう」

朱鷺は動こうとせずのんびりと足を休め、背伸びまでし始める。

その声に野武士たちが朱鷺を見て、一斉に向かってきた。

「あの娘を捕らえろ!」「逃げた男は放っておけ」 

野武士たちが殺到する。

不意に野武士のひとりが横に吹き飛び、街道沿いの立ち木の幹に激しくぶつかり、骨身が砕ける。その断末魔が野武士たちの足を止めた。

野武士たちが皆、足を止めそちらを振り向く。

なにがあったのか。

それを理解できた野武士はいなかったかもしれない。

朱鷺が背伸びを終えるまでの間に野武士が全て街道の脇に吹き飛ばされ絶命してしまったのだ。

「——っと。どうじゃ、九狼、もうお終いか?」

「終わった」

その声とともに、陽炎が揺らぎ九狼が姿を見せる。

「焔の名はさすがじゃのう。じゃが名にまつわる業(わざ)を使うほどの輩でもあるまい」

「俺は相手が蟻であろうと塵であろうと手を抜かぬ。足は休まっただろう。行くぞ」

「背伸びひとつしかしておらぬぞ」

だが九狼は朱鷺の返事を待たずに背を向けてさっさと歩き出す。

振り返ろうともしない。

朱鷺も立ち上がり、それについていくしかなかった。

力あるものについていけなければ、力のないものは死ぬだけだ。

天手は力に寄り添うもの。

朱鷺もそのひとりだった。

そして朱鷺は生きなければならない。

自らの願いを叶えるために——。

 ◆   ◆   ◆


頂が空とひとつになるような王山を背に銀が郷の中心へと下りていく。

家からのびた樹海の中のゆるやかな坂道となった小径の先には、水の張られた棚田に映る眩しい初夏の青空が覗いて見えた。

その先に点々とした家々の板葺きの屋根と郷を囲む木柵の並ぶ様は、まるで郷全体が空に浮かんでいるようだ。

銀はこの小径から見える郷の眺めが好きだった。

よく鏨は、

「この眺めは俺が作ったんだ」

と言っていた。

鏨がこの郷にやってきて十四年になる。

その頃の八羽徒は、白帝の統一は成ったものの、国を失い行き場をなくした野武士や流民などが徒党を組んで暴れまわっていたという。

郷という郷はそうした野武士たちの襲撃を恐れ、木柵を張り巡らした門をつくり、守りを固め、自衛するのが当たり前となっていた。

流れつく流民には厳しい時代だったのだ。

そんな中、鏨は赤ん坊だった銀を連れて那賀郷に流れ着いたのだ。

もちろん郷の人間は皆、土木全般を生業とする土見師を名乗った鏨を警戒した。

自分を高く見せようと、手に技があるとみせかける流民は非常に多かったからだ。

この郷は樹海を開拓して作った郷だったが、樹海では雨が降るとよく土砂崩れを起こし、その土砂が郷へと流れ込んでいた。

その度に、家や畑が土砂に埋まるのは珍しいことではなかった。

鏨が那賀郷にやってきたときも雨が降り続き、小さな土砂崩れが郷のそこかしこで起きていた。それは次に大きな土砂崩れが来る予兆だった。

郷の人間たちはそれを恐れ、小高い丘の上にある郷ノ長の屋敷に集まり、眠れぬ夜を過ごすしかなかった。

そんな中、鏨は赤ん坊の銀を郷の女に預けると、ひとり山へと入っていった。

誰も流れ着いた鏨を止めるものはいなかった。

皆、赤ん坊を捨てて逃げたのだと思った。

そして朝を迎える前に郷が大きく揺れて土砂崩れが起きた。

だがその被害が郷にやってくることはなかった。

樹海の際に丸太を切り出し並べたような木柵が連なり、土砂の流れを郷からそらすように作られていたのだ。

雨が降り出す前まで、そんなものはなかった。

だが、

「間に合ってよかった」

そう言って泥だらけの顔で現れた鏨を見たとき、この男がこれをやったのではないかと、郷の人間たちの半分は思うようになった。

そして、

「今後、この郷が土砂を避けるための提案があるんですけれど——」

と言って、新しい木柵を目の前で瞬時に代手から解手してみせた鏨を見た瞬間、この男が土砂崩れから郷を救ったのだと郷の皆が確信した。

そのときから那賀郷の人間たちは鏨を郷の人間として認めるようになったのだそうだ。

それからも鏨は郷のために働いた。

棚田を効率のよい場所に作り直し、樹海に湧く地下水を引き込めるよう貯水池を作り、用水路も作った。

その甲斐あって、郷の農作物は病気ひとつすることなく立派に育ち、城下に売りに行く余裕さえできるようになったのだ。


そんな野菜が青々と繁る畑の前を銀が通ったときだった。

「銀、これをもっていくかい」

手に大きな葉野菜を手にしたヌイの父親の惣吉【そうきち】が声をかけてきたのだ。

銀の家からもっとも近いところに住む郷人で、惣吉にはなにかと世話になっていた。

銀が五歳になったとき、鏨が学問所を開くと惣吉は銀の遊び相手だったヌイにも文字の読み書きを教えたいと言って学問所に通わせ始めたのだ。

郷に生まれたものは、郷で死ぬ。

それが郷で生まれた人間が送る普通の人生だ。

百姓さえできれば、文字の読み書きなどは必要ない。

特に娘は嫁に行けばそれでいい。そんな世界の話なのだ。

惣吉なりに近所に住んでいる鏨に気を使っただけなのだろう。

だがヌイが輝月塾で読み書きを覚えていくと、他の子供たちも通うようになった。

郷の皆が鏨たちのことを気にかけていたのである。

そんな惣吉に銀も大きく声を張って返事をする。

「すみません。これから子供たちの様子を見に行くので、あとで取りに伺います」

「先生の代わりか。だったら俺が学問所に持ってっとくよ」

「なにからなにまで、ありがとうございます」

「礼なんていいよ。婿殿にはもっと丈夫になってもらわんとな」

銀は惣吉の言葉に「あっ」となった。

学問所でヌイの様子がおかしかったことに合点がいった。

親同士、縁組の話がまとまるのは珍しい話ではない。

鏨と惣吉との間でそうした話が交わされたとしてもこの郷であれば普通のことだろう。

そしてそれをヌイが聞いたのかもしれなかった。

見ず知らずの名前も知らない相手と縁組されるよりも、お互いを見知っているほうがましであったろうし、ヌイも悪い気分ではなかったのかもしれない。

ふたりも十四歳。もう年頃だった。

男は手に職をつけ食うに困らなくなれば、郷では一人前として認められ、女は子供を産める年頃になれば一人前だった。

銀も別にヌイのことは素直でいい子だとは思う。

だがそれとこれとは別である。

「こういうことなら相談くらいしてくれてもいいと思うんですけど」

鏨はいつもこうだった。

誰にも相談なしに、自分の考えだけで決めて、さっさと事を成してしまう。

皆が気づくのは鏨がすべてを終えたあとになる。

この郷に来たときの土砂崩れを避ける木柵の話もそうだが、ヌイとの縁組の話も、役場を建てる土地の地ならしのこともそうだった。

そしてそのどれもが正しい方向に転がっていく。

そんな鏨こそ、銀の目標だった。

 いつか父さんのようになりたい。

そう思って、その背中を追ってきたのだ。

今度の役場の土地の件も、きっと鏨のほうが正しい。

本当なら悔しいはずである。

考えて出した結論が間違いだと言われているのだ。

でも銀は現場が近づくにつれて胸が高鳴るのを感じていた。

 父さんは今度どんなことを教えてくれるのだろう?

そんな気持ちが銀の背中を後押しし、その体を現場へと急がせていた。

 
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