城喰 シロクロ

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第1章 黒き焔(5/9)

二〇十三年八月二十日
 玄州は八羽徒の北に位置する国であった。

 これを白帝から任されていたのが三将軍のひとり、本武将の七代信長玄上である。

 その玄上は城内にある主殿の広間で、配下武将のひとり、嬉楽照胤と対面していた。

 無駄のない質素な広間だった。

 玄上が一段高くなった上段の間に座し、照胤は二の間の端に座していた。

「九狼を黄州に?」

「はい。白帝の築城士がそこにいるという噂が届きまして。そこに玄上様の求める築城士がいれば、九狼は必ず連れて戻るでしょう」

「……黄州は白帝の公領。問題を起こせばただでは済まぬな」

「そうですな。今の管轄は青州ですが、青州は世継ぎの家康青葉(いえやすあおば)様がまだ体制を整えられている状況故、そちらからの御意見はないものと思われます。あるとすれば白帝の正室との縁のある秀吉朱羅様からかと」

 照胤の目が笑っていた。

 食えぬやつだと玄上は感じていた。

 白帝の世となり、国同士がぶつかるような戦は起きていない。

 それまで十年以上も国同士がぶつかりあい、八羽徒全体が疲弊していた。

 その疲れを癒すかのような十数年だったのだ。

 力はもう十分に蓄えられた。

 どの国もそれを思っているだろう。

 八羽徒全域は七代信長玄上、二十三代秀吉朱羅、十二代家康青葉という白帝から任命された三将軍本家の統治下にあるものの、その下にいる武将たちは別だ。

 皆、白帝が武人でありながら、貴族どもを力で統べる瞬間を知っていた。

 未だ世は武人の――、力の時代なのだ。

 誰しもがその力で天下を取ることを夢見ていた。

 玄上もそのひとりであることを否定はしない。

 だが玄上は夢を見ているのではない。

 ただ前に進むだけ。

 力を以って力を制する。

 それが玄上自身の生き様。

 覇道とはそういうものだ。

 九狼を始めとする配下の武将たちも、玄上に力及ばぬと、それに屈したものたちがほとんどである。

 未だ諦めずに虎視眈々とその首を狙っているものも多いが、寝首をかくような卑怯な手段を取るものはいない。

 だからこそ武の統べる国としての規律が成り立っているのだ。

 中にはこの嬉楽照胤のように、玄上の力を利用しているだけのものもいる。けれど玄上自身、こちらの力を利用しようとするものでさえ、そのものを手足として使っていく。

 裏切られるようなことがあるのだとすれば、それは玄上自身が弱くなったからだ。

 それだけのことなのだ。

 敗れることなど露とも考えてはいなかった。

 だからこそ、勝つための手立ては全て整える。

 そのための築城士だ。

 この八羽徒にあって玄上の望む城を築ける築城士。

 それは共に戦ったあの軍師・金斬をおいて他ならない。

 金斬が欲しかった。

 その考えを見透かしているのか、照胤が堂々と薄ら笑いを浮かべている。

 この男はこうした笑みを隠そうとはしない。

 俯き、顔を隠して笑うものより、玄上はこうした輩のほうが気に入っていた。

 これもこの男の力の示し方なのだろう。

「して、照胤。九狼が築城士を連れて戻った後のこと、既に手は打っているのであろうな」

「青州は未だ立つことも適わず、まずは朱州からでよいかと」

「では九狼の知らせを待つとしよう」

「御意」

 嬉楽照胤が広間を去った後、玄上の姿は奥の院にあった。

 そこにひとり、長い漆黒の髪を部屋一面に広げた女の姿があった。

 黒い袿(うちぎ)に、黒の小袖を重ね、これもまた黒の打袴(うちばかま)を着けた姿で座っている。

 その黒に包まれた透き通るほどに白い肌の中に、赤い瞳と赤い唇だけが色を残す。

 微動だにせぬその姿はまるで人形のようでもあった。

 それに向かって玄上が言った。

「射干玉【ぬばたま】よ。そう遠くないうちに戦になる。天手であるお前の力も必要となろう」

 射干玉はそれに答えなかった。

 ただ黙って赤い瞳で虚空を見つめているだけである。

 玄上ほどの男に対し、この振る舞いは無礼であった。

 だが玄上もそれに腹を立てるようなことはなかった。

 それどころかどこか哀れみを含んだ目で射干玉を見ている。

 そして言った。

「そうなればいずれ白帝を討つことになるだろう」

 そのとき、射干玉の赤い瞳がかすかに揺れて赤い唇が開かれた。

「……白帝を討つのは白帝だけでございます」

 幾度となく聞いた言葉ではあった。

「なに故にそれを思うのだ、射干玉よ」

 玄上はしばしの間そんな射干玉の言葉を待った。

 しかし、その赤い唇が開くことはなかった。

 天手の言葉は遠き未来の理を見ての言葉だとも言われている。

「ならばその理、俺が破ろうぞ」

 そう言って玄上は、奥の院の襖を閉めた。


◆ ◆ ◆



 山の貯水池は、那賀郷の奥から王山の樹海へと分け入る入口にあった。

 銀の家の脇の小径を抜けた先である。

 そこへと続く山道を、銀は郷ノ長の家から九狼と朱鷺を案内して、鏨が向かった樹海
の中の貯水池を目指し歩いていた。

「まだ着かぬのか」

 朱鷺が不平を漏らす。

「もうすぐです」

 ここ数日降り続いた雨のために森の道は乾ききっておらず、泥濘(ぬかる)み歩きづ
らくなっていた。

 山を歩き慣れている銀でも足を取られるような中、小さな朱鷺もなんとか付いてきて
はいたが、ついには足を止めてしまった。

「妾はもう歩くのは嫌じゃ。輿(こし)を用意せい」

 輿とは、二本の長柄の上に台のついた貴族の乗り物のことであろう。そのようなもの
がこの郷にあるはずもない。銀がそれを告げると、

「ならば妾を背負え。もう歩きとうない」

「僕が、ですか」

 確かに、朱鷺のような小さな娘を歩かせるのは可哀想なような気もしていた。だが先
を行く九狼は、

「銀とやら。そやつのことは構うな。捨ておけ」

 と、朱鷺を一瞥しただけで歩いて行ってしまう。

「鬼!」

 朱鷺が九狼の背中に罵詈雑言をぶつけるが一向に構う様子はなかった。

 だが朱鷺の声を背中に聞いて先に行くことなど銀にはできない。

 仕方がない、と諦め銀は朱鷺を背負った。

「はじめからこうすればよかったのじゃ」

 銀の背中で朱鷺が言った。

 朱鷺は驚くほど軽く、銀の足取りにもたいした影響はなさそうだった。

 木々の合間から貯水池も見えていた。

 これならば大丈夫。

 そう思い、先を歩く九狼に追いつこうとした、そのとき——。

 不意に銀たちの足下が微かに震え、森の木々が山の上のほうでざわめいていた。

「なんじゃ」

 朱鷺が山の上を見上げる。銀もそれを追おうと視線を動かした瞬間、目の前を黒いな
にかが過ぎっていった。

  なにが——。

 通り過ぎていった影を目で追いかけると、それは斜面を転がっていく大岩だった。

 人の身の丈ほどもある大岩が山の斜面を勢い良く転がり落ち、やがて木々の陰に隠れて見えなくなっていった。

「また来るぞ」

 朱鷺が言った。

 だが今度はその規模が違っていた。

 山の斜面の上のほうからやってくるのは大岩だけではなかった。広い範囲で木々をへし折る力を持った土砂が銀たちを飲み込まんばかりの勢いで迫っているのだった。

「早う逃げいッ」

 背中の朱鷺が声を上げるが、銀の身は強張ったまま動かない。逃げなくてはならないのはわかっていた。だが足が根を張ったように、動くことができないのだ。 

 それに今更逃げたところで迫る土砂の範囲から逃れるのは無理だと、ひとめでわかったのだ。

 もう駄目だ。

 でも、逃げられないのであれば、せめて背中の朱鷺だけでも守りたい。

 銀は迫る土砂に背中を向けたいのを必死に堪えて、震える足で踏ん張った。

 その瞬間、銀の目の前に突如、人影が現れ、迫る土砂と銀とを遮ったのだ。

「解手ッ」

 その人影が緊迫した声で言った。

 それに応じるように、辺りが眩(まばゆ)く照らされた瞬間、大人の体程もある丸太の杭が銀たちの前に現れ、深く地面に突き立った。

 それは代手の中に収められていた丸太だった。それらが地面に数十本も突き立ち、全
てを飲み込もうと勢いよく迫る土砂を受け止めていた。

 全てが一瞬のうちに起き、森は静寂を取り戻そうとしていた。 

 静けさを呼んだものは、目の前の頑丈な木柵——。

 そして見覚えのある背中だった。

「大丈夫ですか」

 優しげな声が目の前の背中から聞こえてくる。

 聞き慣れた声とともに、人懐っこい鏨の笑顔があった。

「父さん」

 銀は泣きそうだった。

「泣かないでください」

「まだ泣いてません」

 鏨の大きな手が銀の頭に伸ばされる。だが、その手は届かなかった。

「金斬」

 それを止めたのは銀の背中から発せられた鈴のような声、朱鷺の声だった。

 鏨が押し黙ったまま、朱鷺を見つめていた。

「……天手・朱鷺」

「変わらぬ煌気じゃな。さすがは白帝の筆頭軍師、妾のこの小さな胸が震えたぞ」

 銀は耳を疑った。

 金斬とは誰か。筆頭軍師とはなにか。

 それを尋ねようとしたが、銀の声に先んじて、九狼が鏨に槍先を向けて言った。

「この俺にもわかる、あの煌気——。お主が白帝の築城士であろう」

 鏨は答えなかった。だが九狼は構わず鏨に言葉を投げ続ける。

「我は焔九狼。七代信長玄上が家臣。君命に従い、白帝尊氏、八羽徒八州統一を成し遂
げた際の筆頭軍師にして筆頭築城士である金斬殿とお見受けした。貴殿には玄州まで御
同行願いたい」

「金斬という名は、戦場に捨てた名です。今の私は輝月鏨。ただの田舎の土見師で、学
問所の教師でしかありません」

「戯言(ざれごと)を申すな。お主は金斬じゃ。妾と共に戦場で幾多の城を築いてきた
であろう」

 朱鷺が銀の背中から身を乗り出し、鏨を見つめていた。

「天手朱鷺。私のことは忘れてください」

「嫌じゃ。妾が契るのはお主と決めておったのだ。なのに、なぜ妾の前から消えた。な
ぜ尊氏白薙の元から逃げたのじゃ」

 鏨は沈黙した。

 そして済まなそうに銀を見た。

 銀は混乱していた。その表情に困惑の色がありありと見て取れた。

 九狼と朱鷺の話を信じるのであれば、鏨の本当の名前は金斬であり、いまの帝である
白帝尊氏の軍師であり、二十年前に成し遂げられた八羽徒八州統一の際の筆頭築城士だ
というのだ。

 輝月銀にとって、黄州那賀郷に暮らす学問所の教師であり土見師であり、そして父親
である輝月鏨こそが目の前の男の全てだった。

 嘘の上に築かれた日常に、輝月銀という人間の今があるのであれば、本当の自分はな
んだというのだろう。

 そんな銀の気持ちなど余所に、九狼がまっすぐに鏨に向かい、前へと出てくる。

 その足下から白いものが立ち上っていた。

 霧となった水蒸気だった。

 九狼の足下の泥濘みが水気を失い乾き、ひび割れていく。

「金斬でも鏨でもよい。俺はお主を玄上様の前に連れていければそれでよい。手段は選
ばぬ」

「銀にお願いがあります」

 鏨が銀の名を呼んだ。

「私がこれまで、ここで過ごしてきた時間はとても楽しいものでした。そしてこれからもそれを続けて行きたいと思っています。だから今から知るであろう私の姿は、事が終わったらすべて忘れてください。頼みます」

 なぜそんなことを言うのか。なにが起ころうとしているのか。銀にはなにひとつ想像できない。

「忘れるってなにを——」

 だが銀の言葉は鏨の背中で弾かれてしまった。

 既に鏨の意識は、まっすぐに近づいてくる九狼へと向けられていた。そしてその横顔は、これまで銀が一度も見たことのない、銀の知らないものだった。

「……父さん」

「金斬じゃ。あれこそ金斬の目じゃ」

 銀の背中にいた朱鷺の声が上擦っていた。

 
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