城喰 シロクロ

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第1章 黒き焔(6/9)

 九狼が前に出るのに合わせて、
その足下の白い霧が地を這うよ
うに音もなく鏨へと近づいて
いた。

 鏨はまだ動こうとは
しない。

 白い霧が揺れた。

 そう思われた瞬間、
九狼の姿が掻き消えていた。

 ギンッ!

 突然、静かだった山の中に鉄の衝突する音が響く。

 鏨の目の前に、九狼の槍先があった。

 だがその槍先は鏨を貫くことなく、鏨の目の前に突如現れた鋼の杭によって食い止められていた。

 鏨の右手から淡い光が消えようとしていた。

 代手を使ったのだ。

 正面からやってくるであろう鏨の槍の突撃を読んで。

「やはり真っ向から来るか、九狼とやら」

「お主の力を試したまで。この槍で死ぬようであれば、玄上様の元へ連れて行く程のものではない」

「俺の力が知りたい? ならば力を以って破ってみせい」

「望むところ」

 鏨が笑った。

 それは銀の知らない笑顔だった。

 九狼も笑った。

 それは恐ろしい鬼の笑みだった。

 不意に鏨の手から代手が放たれ、銀の足元に突き刺さる。

 そして「解手」の言葉が聞こえたかと思えば、銀と朱鷺の足元から物見の櫓が現れ、高くふたりを押し上げていった。

「な——」

 高さ三十尺ほどもある木製の櫓だった。

 柱のひとつが大人が一抱えにできぬような巨木の幹ほどもある立派な櫓が現れたのだ。

 そしてそれと同時に、いくつかの代手が放られ、鏨の周囲を取り囲むように頑丈な木柵が現れる。

 ただひとつ、九狼と鏨との間にのみ、木柵は作られていなかった。

 まるで「ここから来い」と九狼を誘っているかのようだった。

 一連の動作は息を呑むほど素早かった。

 銀には鏨の手がわずかに動いただけにしか見えない。

「この僅かな時間で城を築くか。さすがは白帝の軍師。こうでなくては面白くない」

 九狼が言った。

 それを聞いた鏨がずばりと言った。

「若い」

「……なに?」

「戦を面白がるようでは、まだまだ遠く尊氏白薙に——、いや、信長玄上にすら及ばない」

 信長玄上の名と比べられた刹那、九狼の表情が険しくなる。

 そして剛槍を握る手に力が入った。

「……あのようなものと俺を比べるな!」

 九狼が吠えた。

 普通の人間であれば、その声の圧力に屈して怯えていたかもしれない。

 だが鏨は真っ向からそれを受け止めて言った。

「見せてもらおうか。今の玄上の配下の力を」

 そして——。

 鏨は不敵な笑みを浮かべて九狼を誘った。

 その姿は銀の知らないものだった。

 そんな銀に、その背中から下りながら朱鷺が言った。

「あれは妾の知る軍師・金斬じゃ」

「……キミは父さんのことを知ってるの?」

「金斬のことならよう知っておる。やつほど恐ろしい武人【もののふ】を妾は知らぬ」

「恐ろしい?」

 それを聞いても銀には、そんな鏨の姿を想像できなかった。

「すぐにわかろう。じゃが金斬には悪いが、この度は負けてもらわねばならぬ」

「そんな! 父さんが怪我でもしたら——」

「必要なのは金斬の身柄。九狼が阿呆であっても、命までは取ろうとはせんだろう」

 だからといって無事なわけではあるまい。

 銀は見ていることしかできない己の無力さを呪った。

 鏨は忘れてくれとは言った。

 だが忘れることなどできないだろうし、忘れるつもりもなかった。

 なにがあろうと、なにかを隠していようと銀にとって鏨は鏨なのだ。

 この十四年間、鏨が銀を育ててきたことは事実なのだ。

 鏨を否定することは、今の自分を否定することになる。

 そんなことはしたくなかった。

 だから見ていようと誓った。

 その目に、今の鏨を焼き付けようと。

 銀は、どことなく周囲の空気がざわめいているかのような錯覚を覚えた。

「お主も感じるのか」

「え?」

「煌気がざわめきはじめたのじゃ」

「煌気?」

 この空気のことなのだろうか。

 そういえば郷ノ長の家の中でも、朱鷺はそのことを言っていたが——。

「始まるぞ」

 朱鷺が銀の背中で言った。

 鏨と九狼とが同時に声を上げた。

「いざ、参るッ!」

 その掛け声と同時にふたりが動いた。

 九狼の剛槍が鏨に向けて突き出される。

 だがそれは鏨に届く前に、突如現れた土の柱に突き刺さり、それを砕いたのみだった。

 鏨の代手が解手されたのだ。

 その剛槍が引き抜かれる間に、鏨は代手を素早く地面に埋め込むと、木柵の周囲の地面を封手した。

 土が代手の中へと納められ、えぐられた穴が深い空壕(からぼり)となった。

 そこに貯水池から水が流れ込み水濠(みずぼり)を作る。

 幅も広い。

 更にその土を納めた代手を木柵の下に並べて差し込み、次々と解手する。

 すると木柵の下の土台が盛り上がり土塁を作り上げた。

 壕は深く広く、そして柵は高く険しい、鏨の城が姿を見せていく。

 この壕と木柵を飛び越え鏨の城の中に入れるのは翼のある鳥だけであろう。

 そのあまりの手際の良さに、九狼は手を止め、思わず見入ってしまった程だった。

 そして同時に、

  この築城士であれば——。

 そう思わずにはいられなかった。

 そして同時にこうも思った。

  とことんやりあってみたい。

 昼間出会った野武士たちとは桁違いの力量の持ち主が目の前にいるのだ。

 強敵を前に、己の武人としての力を思う存分試してみたかった。

 この城を打ち破ってみたくなったのである。

 
 九狼が鏨の城を観察する。

 急ごしらえとはいえ、隙ない堅牢な城だった。

 容易に外からは攻め入ることができない。

 確実に防ぎきるであろう。

 そして貯水池近くという不安定な土地にあって、地の利を活かした縄張(なわばり)を敷いていた。

 縄張とは、城を作る際にその土地の役割を定めることを言う。

 土地を平にならし、居館や蔵などを置く曲輪(くるわ)の形や数を定め、その守るべきところを本丸、更にその本丸を守るために周囲に二の丸、三の丸といった曲輪を築いていく。

 そうして段階的に守りを固めることで敵が攻めこむ流れを止めるのだ。

 更には木柵や土塁、壕といったものや、山城であれば斜面を削るなどして作った切岸(きりぎし)などで敵の足を鈍らせる。
 ただ敵の侵入を防ぐのは縄張の一面でしかない。

 もう一面。

 攻めてきた敵を迎え撃つことも重要な一面だった。

 例えば、敵は城に攻め入るためにまずすべきことは門を落とすことだった。

 そのために敵は門を目指して攻め込んでくる。

 その敵に横から矢を射掛けられるよう、土塁や柵を少し出張らせ、そこに櫓などを設けることで効率よく敵を迎え撃つのだ。

 そうしたことを決める役割が縄張にはあった。

 城の成否はこの縄張次第と言えよう。

 櫓の上から見ている銀と朱鷺には、鏨の作った城の全容が見て取れた。

 よく見ると、柵全体が四角い形ではなく、正面にあたる部分に対して左右が少し、九狼のいる方向に向かって迫り出している。

 これはおそらく——。

「横矢掛(よこやがけ)……」

「ほう。お主、戦の知識もあるのじゃな」

「それは——」

 横矢掛とは、門などを攻めてくる敵に対し、その側面から矢を射掛けられるようにする縄張である。

 銀はそれを知っていた。

 それは戦の知識を鏨が隠し持っていた書物の中で見たことがあったからだ。

 鏨が家を空けたときのこと。

 道具などを仕舞った箱の奥のほうに忍ばせてあった書物を見つけていた。

 きっと読ませたくないものだったのだろう。

 銀はそれを隠れて読んだ。

 隠されているものほど、人は興味をそそられる。

 そして銀にとって書物とは特別なものだった。

 那賀郷を出たことのない銀にとってそれは世界そのものなのだ。

 文字を通して、世界の知識が自分のものとなっていくことが魅力的だった。

 いけないこととわかっていても、その好奇心が抑えきれなかった。

 多くは意味のわからぬ難しい言葉で書かれた本が多かった。

 その中に、戦について書かれていた本も含まれていたのだ。

 銀はそれらの知識をわかる範囲で読んでいた。

 それらの知識は、角度を変えてみれば、田圃や畑を作るときに参考になるように思えたからだった。

 現に鏨が目の前で作った壕のことも書かれてあった。

 ただ土を掘るのではなく、掘ったあとに残された土手にあたる部分が崩れぬように掘られなくてはならない。

 それはそのまま、棚田を作るときに役立ちそうだと思ったのだ。

  あのときは——。

 だが今は違った。

 目の前で小規模ではあるが、行われているのは実戦である。

 鏨が行った縄張を見て「凄い」と思うのだ。

「さすがは金斬よのう。瞬く間に頑丈な城を築き上げたわ。あの九狼の槍でもあれは壊せぬわ」

「でもあれじゃ守りはできても、攻めることはできません。横矢掛にしても、父さんひとりでは意味がありません」

「確かにな」

 銀は鏨がこの後どうするのかが気になった。

 だがそれ以上に、九狼の動きは不気味だった。

 鏨がわずかな時間で城を築き上げたのに対し、九狼は槍を退いたまま、仁王立ちしたままでそれをじっと観察しているのだ。

 そう。

 まるで、敵の急所を探り、そこに噛みつこうとする狼のような——。

 それは九狼と相対している当の鏨も思っていたことだった。

 鏨は木柵に囲まれた中、土塁をわずかに盛って高くし、そこから木柵の向こうの九狼の姿がよく見えた。

「なぜ動かない?」

 おそらく隙を探っているのであろう。

 九狼はかつて白薙の下で戦った信長玄上の家臣だという。

 ならば金斬と名乗っていた頃の鏨の腕をそれなりに聞いてはいるはずである。

 そして朱鷺もいた。

 朱鷺は誰よりも鏨のことを知っている天手だった。

 おそらく鏨よりも早く城を築ける築城士はいない。

 その予測は立てているはず。

 ならば狙っているのは——。

「攻めに転じる瞬間辺りか」

 そう鏨は読んでいた。

 城さえ築ければそう簡単に負けることはない。

 だからこそ、敵に築城で敵わぬと読んだのであれば、城が築き上がる前に攻め込んでくるのが定石だった。

 城ができ上がってから攻め込む場合、城の守りを圧倒するだけの攻めの手が必要なはずだった。

 焔九狼は、焔の名を持つ。

 火攻めを得手としていると鏨は読んでいた。

 だからこそ、この場所を戦の場に選んだのだ。

 へたに郷でやりあえば、郷に火の手が及ぶかもしれない。

 つまり戦う前から勝つことを前提に鏨は戦いを挑んだのだ。

 もちろん、九狼という武将がそれにのってくることも計算してのことだ。

 最初に槍を使って鏨の腕前を試してきたことで、九狼という武将がどんな攻めをするのかをある程度は読んだつもりだった。

 万が一を考えて壕に水を引いてもいた。

 九狼は焔の名を持つ技を使う。

 それへの牽制でもあった。

 更に、火で取り囲まれれば木柵は焼ける。

 焼ければそこに穴が開き、そこから一斉に攻めてくるだろう。

 そのために敢えて門を作らずに正面に誘うための入り口を開けていた。

 この城に攻め込むには、正面から水濠を飛び越えてくるのが最短だ。

 九狼のような武人であれば対岸から跳んで届くかもしれない。

 だがそれこそが狙い目でもあった。

「さて、いつ動いてくるでしょうか」

 じっと動かぬ九狼を鏨は静かに見つめた

 
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