城喰 シロクロ

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第1章 黒き焔(9/9)

      暗い。


   ここはどこなのか。

 銀は体を動かそうとした。

 だが動かなかった。

 ひどく重く、そして力も入らない。

 そのとき、耳元で声がした。

「お主はもうじき死ぬ」

  死ぬ?

 銀の頭の中で、その言葉の意味を探そうとした。

 だが辿りつけない。

 いろいろな言葉や考えがそれを邪魔する。

  死ねばどうなる?

  もうどこにもいなくなる。

  誰にも会えなくなる。

  ヌイにも会えない。

  そして、父さんにも——。

「とう、さん……」

 銀の口からその名が吐き出された。

 それは声にならなかったかもしれない。

 だが鏨に会いたい。

 その感情が闇の中に明瞭に浮かび上がり、銀の意識をつなぎ止める。

「生きたいか」

 また、声がした。

 聞き覚えのある声。

 そうだ。

 朱鷺。

 あの小さな娘の声だ。

 ——死ん、だら、もう二度と、父さんに、会え、な、い。

 途切れそうな意識を銀は必死に繋ぎとめようとする。

 だが死に向かう肉体がそれを許さない。

「妾と契るか」

 ち、ぎ、る?

「妾と契れば、お主は生きられる。妾とともに——」

 銀は「生きたい」、そう思うことしかできなかった。

 だがそれで十分だった。

 朱鷺は言った。

「お前の気持ち、確かに伝わった。ならば妾はお主と契ろうぞ。お主の生命ある限り、お主だけの天手となろう」

 銀の唇にやわらかいものが触れる。

 朱鷺の唇が銀の唇を塞いでいた。

 温かな息が銀の中に流れ込み、

「いくぞ」

 朱鷺の囁きが頭の中に響いた。

 不意に銀の体を衝撃が貫く。

 光が視界に飛び込んでくる。

 最初に見えたのは朱鷺の顔だった。

 そして次に見たものは、己の胸に突き刺さる透明な楔——、代手だった。

 それがずぶずぶと銀の胸にめり込んでいく。

 叫ぼうとした。

 声にはならなかった。

 同時に体中に熱が走った。

「——ぁあああああッ」

 ようやく声が出た。

 それは赤ん坊の産声にも似た声だった。

 肺の中の息を声として絞り出し、再び息を吸う。

 大きく胸が上下に動いた。

 そしてトクンと胸が鳴るのが、聞こえてきた。

 闇の中に朱鷺の白い肌が浮かんで見えた。

 銀の顔の間近で朱鷺が覗き込んでいるのだ。

「……僕はどうして……」

「お主は死んだ。そして妾と契り、蘇った」

「……蘇った?」

 体を起こそうとした。

 だがそれはできなかった。

「一度死んだ体じゃ。まだ動かぬであろう」

 銀の体に徐々に感覚が蘇ってくる。

 その背中が固い感触を捉えた。

 寝ているのか。

 指先が辛うじて動いた。

 固いものに触れる。

 それは岩だった。ざらつく感触もあった。おそらくは、土——。

 目に光が戻ってくる。

 赤から蒼へと暮れゆく空が見えた。

「僕は、どこに?」

「池のそばじゃ」

「……池」

 記憶が少しずつ繋がり始める。

  そう。

  ここは、貯水池のほとりだ。

  僕は飛んだ。

  炎に包まれた。

  そして必死に飛んだのだ。

  生きたいから。

  朱鷺を、助けたかったから。

  鏨を、助けたかったから。

「そうだ、父さんは!」

 銀の記憶が一気につながる。

「もうここにはおらぬ。九狼が連れ去ったのであろう」

 そうなのだ。

 九狼に連れ去られた鏨を助けようと、崩れ落ちる櫓から飛んだのだ。

 だが、届かなかった。

 そして銀は死に、蘇った。

 銀が上体を起こせるようになったのは、空が星に覆われる頃になってからだった。

 貯水池の池も濁りが落ち着き、浅くはなっていたものの鏡のような水面に静かな星空を映していた。

 周囲の森の木々が流れた泥に薙ぎ倒されている。

 それが現実だった。

 そして、その受け入れがたい現実を理解できるだけの意識も戻ってきていた。

 銀は傍らにいた朱鷺に聞いた。

「どうして、僕を助けたんですか」

「お主に助けられたからじゃ。それに——」

 朱鷺が銀の胸を指さして言った。

「あのとき、お主が見せた煌気は、これまで見たどの煌気よりも美しく強いものだったからじゃ。お主なら、きっと妾の願いを叶える主となろう」

「願い?」

 朱鷺はそれには答えなかった。

「父さんは——」

「妾が気づいたときには、もうおらなんだ。九狼も一緒にな」

「そうですか」

 銀が立ち上がる。

 脚に力も戻っていた。

「どうするつもりじゃ」

「まずは家に戻りましょう」 

「なぜすぐに金斬を追わぬ?」

「追いつけません。それに、追いついたところで、僕の腕は、まだ父さんには届きません」

 そうなのだ。

 時が経ちすぎていた。今から街道を走り、九狼に追いつくことなどできはしない。追いつけたとしても、銀に
九狼の手から鏨を取り戻すことなどできない。その方法すら思いつかなかった。

 ふと、銀の目に、崩れた櫓の中に残された九狼の剛槍が飛び込んできた。

 それは炎に焼け焦げて捨てられていた。

 銀はそれに手を伸ばす。

 片手では持てなかった。両腕でなんとか支えられるものだった。

 だが九狼はこれを片手で操り、そして投げて岩に突き立てたのだ。

 恐るべき力だ。

 けれど、これに勝たなければ鏨のところには届かない。

「……僕は、無力ですから」

 そんな銀に朱鷺が言った。

「力が欲しいか」

 朱鷺の問いかけに、銀は頷いた。

「……はい」

「ならばお主は磨かねばなるまいの。お主の煌気を」

「そうすれば、僕は強くなるのですか」

「お主——、というよりは、代手が強くなる」

「代手が?」

「お主は天手である妾と契り、命はひとつとなった」

 朱鷺が手を天へと伸ばす。

「天手の手は、代手に届く。代手とその使い手の、まことの力を引き出すのじゃ。それは先程まで、鏨と九狼が見せた代手の業など、児戯(じぎ)にも等しいほどに」

 にわかには信じられなかった。

「試してみるか」

 朱鷺の言葉に、促され銀が代手を取り出す。

「その代手に納められているのは土じゃな」

「一抱えできるぐらいの土を納めていたと思います」

「ならばそれをもっと大きく心に描いてみよ」

「大きく?」

「目の前にこの穴を埋めるほどの山を作り出すくらいでよかろう」

「そんなこと——」

「できぬと思うな。できると思うがよい。お主ほどの煌気であれば、妾はできると信じておる」

 銀が手の中の代手を見つめる。

 手のひらに乗るほどの小さな代手だった。

 この中から両手に一抱えほどの土が出てくるだけでも、郷の人間たちならば驚いている。

 それなのにそれ以上とはどういうことなのか。

「妾を信じてみよ」

 朱鷺の声を聞くと、不思議と胸の中に自信が溢れてくる。

 やってみよう。

 銀が代手を地面へと放り投げる。

 山のような土——。目の前にその形を思い描く。

 胸がトクンと鼓動する。

 以前よりも、まるで目の前にそれがあるかのように描けるようになっていた。

「解手ッ!」

 銀が力強く言った。

 その瞬間、手の指ほどの大きさの小さな代手から光が溢れた。

 そして、銀の目の前に家一軒ほどもある大量の土の山が姿を現していた。

 銀は言葉をなくし、目の前で起きた光景に驚くしかなかった。

「まだまだ未熟じゃのう」

「これ、僕がやったことなんですか」

「お主の思いを、妾がほんの少し押してやっただけじゃ」

「そんなことができるんですか」

「それが天手よ。代手は天手の手の代わりじゃからな。妾を敬えよ」

「わかりました」

 確かに朱鷺の言うとおり、未熟なのだろう。

 でも、これならば、もしかすると——。

 銀は、絶望の中に希望の種が芽吹くのを感じていた。


◆  ◆  ◆



 凰歴六〇二年・初夏。

 そしてふたりは歩み始めた。

 
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